2006年10月28日

傷心旅行(3)

姫では・・・我如古より子さんの唄を聴いて、聞きほれて・・・。
久志貞光さんの唄声にうっとりして・・・。

すごいです。
でも、皆が舞台に上がって飛び入りコーナーなんて事になるわけで・・・。
これが『民謡酒場』か!と思いました。
我如古さんや久志さんから『コンクール受ける人は度胸試しで・・・』と・・・
福岡の先輩はそれぞれ舞台で歌われました。

漁師をしています。というおじさんが舞台に上がって歌ったり・・・。
師匠も歌いました。
そしたら、一門全員であがりなさい。と・・・
え~!まじですか!という感じで『島々清しゃ』を歌いました。
足はガクガク・・・。
でも、なんだか全部吹っ切るような気持ちで、歌詞を間違おうが音外れようがいいや!という思いで歌ったのです。

歌詞間違ったはずです。声も上ずっていた気がします・・・。
でも・・・舞台を降りる時に、福岡の先輩方も師匠も口をそろえて
『声が出てたよ~!』と・・・。

もちろん、これだけであの人の事を吹っ切れたわけではありません。
でも・・・。
沖縄人と大和人・・・大和人が沖縄の文化に触れることへのどことなく引け目というか・・・。
そういうものがずっと心にあって・・・。
あの人の言った『貴女は沖縄の女性じゃない』という言葉もあって・・・。
唄・三線をする事が沖縄の人にとってどういう風に映るんだろうと・・・。

でも、姫にいたお客様も我如古さんも久志さんも、私達が大和人だという事をまったく意に介さず。
広く受け止めてくれるように、『歌いなさい』と言ってくださって・・・。
師匠にしても、あの人にしても、広く相手を受け止めようとするところはどこか共通するのかな?と
思わせるような体験でした。

今年の4月に民謡ツアーと題して、沢山の仲間とツアーを組んで沖縄に行って・・・。
二度目の『姫』でしたが・・・。
あの頃の気持ちとはまた違って、懐かしく『姫』の雰囲気に酔いました。
  

Posted by まえこ at 00:59Comments(0)失恋の話

2006年10月28日

傷心旅行(2)

2日目には『ちゅら海水族館』に行ったんですが・・・。
師匠や男性はさっさと出てるし・・・。え~!もう見たんですかぁ~?という感じでした。
それにしても、昨夜は遅くまで起きていたから眠くて皆どろ~っとなってましたね。

私達が宿泊していたのが北谷だったのです。
まだあたりが明るい時に沖縄独特の告知の横断幕が目に入ってきました。

『○○高校同窓会・・・。』あ・・・あの人の卒業した高校・・・。
そういえば同窓会があるって話をしていたなぁ~。あの人参加したのかな~?
ちょっとうるっときましたが・・・。

北谷でご飯食べて・・・コザの『姫』に・・・。

実はこの日伏線があったのですが・・・。
昼間、車の中で福岡の先輩が『歌の心』を練習してずっとうたっているのを聞いてました。
私はそれで十分だったのですが・・・。
どういう経緯だったか、私も歌いなさい・・・と。知ってる唄・・・で『涙そうそう』を歌いました。
当然の事ながら、相変わらず出ない声・・・でも師匠の言いつけどおり、キーを上げて唄いました。

そして、当然の事ながら、師匠はコンクールを受ける先輩方には細かいところまで指導されますが、
私にはそこまでありません。それどころか・・・『だいぶ出てきてるな』みたいなことを言われて・・・。
その時に福岡の先輩が『え~。先生が褒めるなんて初めて聞いた・・・』というようなことを言われました。
師匠は『初めから声が出ていた人間は歌えて当然だろ。でも、まえこは声が全く出てなくて、この声が出るまでに努力してきたから、それを言ってるんだぞ。』と・・・説明されました。
下手は下手なりに努力は認めてもらっているようで、嬉しかったです。

昼間の伏線を抱えたまま、夜・・・コザの『姫』へ・・・。
  

Posted by まえこ at 00:38Comments(0)失恋の話

2006年10月28日

傷心旅行(1)

福岡空港に着くと、福岡の先輩方と師匠と師匠の元上司の方と待っていらっしゃいました。
そして・・・飛行機で沖縄へ・・・さすがに寝ていないので飛行機の中で爆睡。

沖縄についてレンタカーに乗り込んで・・・そば食べて・・・。
師匠が昔沖縄でお世話になったところにあいさつ回りでした。
あちこち行くのでどこを走ってるかよく分からなくて・・・。
でもそのレンタカーの中で先輩方は三線を取り出して練習。
12月にあるコンクールに向けて、『歌の心』を何度も何度も・・・
だから私はこの旅行中に『歌の心』のウタモチガ何度も何度も頭の中をめぐってました。
てんとぅんてん~てんとぅんてん~

それから・・・
キャンパスレコードにつれて行ってもらってCD買い!
照屋政雄先生のお店に行って・・・。いろんなお話を聞いて・・・。
でも、なんかすごく緊張してしまったのですが・・・。
あの時、三線ばかりやってもいいけど、いろんな三板とかやれば唄・三線をするときにその経験が支えてくれるから、進むのは遅くても幅が広くなる・・・というようなお話をしていただきました。
楽器も上等じゃなくても灯油とか入ってる四角い缶に紐をつけてそれを叩くと太鼓になる・・・とか。

そして、登川誠仁先生のお宅にも・・・と言われて、ひゃ~。どうしよ~って。ドキドキ・・・。
でも、残念ながらお留守・・・。
しかし、お宅にはなが~~い、へちまが実っていて・・・。なんでこんなに長いの!とびっくり。

夜は那覇でおいしい食事を取ったら・・・次行く!とタクシーに乗り込んで・・・。
泡瀬まで走って『ギタラ』というお店に・・・。
すごかった・・・。
そしたら・・・そこに「ゆがふ」の店長・・・。(ちゅ○さんのね)ひゃ~!

次々とびっくりどっきりが続いて・・・傷心旅行が段々薄れていったのは確かだったのです。
  

Posted by まえこ at 00:22Comments(0)失恋の話

2006年10月27日

突然の知らせ

いきなり話が飛びますが・・・。
あの人と別れたのが11月。
年が明けて1月の終わりから今の師匠のお試し教室に行きました。
それから、無我夢中の三線練習・・・。
実はその年の12月に琉球民謡登川流保存会九州支部の第一回民謡コンクールが・・・。
当然の事ながらそんなことは私達新入生は知りもしないのですが・・・。

その年の10月ですかね?那覇の大綱引きがあった頃だから・・・。
師匠と福岡の先輩と熊本からは私ともう一人の人が一緒に沖縄に行きました。
福岡発着なので、朝早く熊本を出発して福岡空港へ行く・・・という旅行。
明日朝出発という前日の夜・・・あの人からのメールが入ってました。
『結婚しました。』と・・・。

なんで、こんなタイミングなんでしょう・・・。
眠れませんでした。やっぱり涙があふれて止まらない・・・。
明日、皆と沖縄に行くのに・・・。どうしよう!と・・・。でも止めたくても止まらないのです。
岐阜にいる中学時代の友達に電話しました。
あの人との事を知っていたから・・・。深夜でも起きているのは彼女ぐらいだから・・・。
一晩中電話で話をして・・・私の涙が止まるのを手伝ってくれたのです。

1時間・・・寝たか・・・。沖縄へ出発する為、友達と福岡空港へ向かったのです。
岐阜の友達から、『沖縄に行くのは辛いかも知れんけど、一緒に行く人がいるから良かったと思いなさい。絶対に泣いたらダメ。』と・・・言われて。
  

Posted by まえこ at 23:52Comments(0)失恋の話

2006年10月27日

琉球村

あの人との思い出の場所のひとつ・・・『琉球村』
地元の人って観光地には中々行きませんね。
それは沖縄でも熊本でも大体同じでしょう・・・。あの人も琉球村初体験でした。

琉球村の中をずっと歩き回って、いろんなものを見て回って・・・。
最後に劇場があって、そこで唄・三線や空手の舞台があったのです。
そこで『てぃんさぐの花』が流れていて、私が口ずさんでいたらあの人が『何で知ってるの?』
とびっくりしたんです。

実はこの『琉球村』が初カチャーシーでした。
劇場の舞台が終わり、最後にカチャーシーを踊る・・・。
当時の私は『カチャーシーって何?????』という状態で
劇団の人が舞台から降りてカチャーシー講習会を始めて・・・。
『じゃ!やりましょう!』って・・・まじでぇ~?
曲はなんだったか覚えてませんが、多分『豊年音頭』か『唐船ドーイ』だったと思うけど・・・。

当然の事ながら、私は一般人でして、人前で踊るなんてとんでもない!って感じでした。
曲も訳分からないし・・・。でも三線がリズミカルに刻む音がすごく素敵で、すごい!と度肝を抜かれてしまったのは確か・・・。

実はあの人はあまり沖縄人らしい顔をしていないので、見た目は大和人・・・。
でも、やっぱり踊りだしたら誰よりも様になってるわけです。
とうとう劇団の人に連れて行かれて舞台の方へ・・・あらら・・テレながら踊ってるよ~。
曲が終わって、恥かしそうに戻ってきたあの人に『上手いネェ~やっぱり違うよ~』と言ったら、
『かちゃーしーはおばぁが上手いよ~。』と・・・。

三線の事も教えてもらって、『三線弾ける?』と聞いたら『あれは誰でも弾けるもんじゃないんだよ。』と・・・沖縄の人間だからと言って弾けるわけじゃない・・・。と
でも、このときの三線が妙に印象に残っていたのです。
  

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2006年10月26日

別れの続き

私はあの人と別れた時に、あの人をひどく傷つけてしまったのです。
そう私は思ったのですが・・・。

私がとった行動であの人は酷く私を叱り付けました。
でも・・・その時の表情は今でも私の脳裏に焼きついて離れません。
いつも堂々としていたあの人があの時今にも泣きそうな顔で叱ったのです。
あの顔を見たときに自分がこの人に何をしたのか・・・。
頭で考えることが出来ないで、酷いことをしたんだ。という思いだけが湧き上がって、
激しい後悔・・・。

その日一睡もせずに・・・。帰りました。熊本へ・・・。
あの人は私に一晩中付き添ってました・・・。

この別れから約3ヵ月後に三線教室に通うことになったのです。
そして、約1年後にあの人の結婚をしりました。
  

Posted by まえこ at 00:36Comments(0)失恋の話

2006年10月26日

思い出のご飯

沖縄に行ってご飯を食べるんですが・・・大抵・・・食堂。
そば・・・。でしたねぇ~。
あ、ステーキも食べました。具志川で・・・。壁にドル表示とかされてるお店でした。

あの人は左利きで、お箸も左手でしたから、食堂で合い席って言われたら私の左側にあの人が座る。
これが暗黙の了解でした。
ソーキそばのソーキの軟骨は食べなさい!って言われるし・・・。
宜野湾にある定食屋さんみたいなところでしたけど・・・。おばちゃんが厨房にいた・・・。
そういえば、那覇そばって今場所が変わってますが、以前の場所にあった時に二人で行ったのです。
じゅーしー食べたい!って言ったらあと1つしかない・・・と言われて、私がいただいちゃったり。

上等なところに連れて行って食事って無理だから・・とあの人は言ってたけど、
私はあの人が知ってるお店で充分OKで、おばちゃんが料理作ってる定食屋さんとかもすごく雰囲気あって、大好きでした。
道路沿いのパーラーとか・・・立ち寄ってブルーシールのアイスとか食べて・・・。
北谷とか浦添にあるブルーシールのお店は若い女の子がいっぱいいて恥かしいから入りにくくて・・・。
でも、パーラーに寄るといろんなメニューが書いてある。
ぜんざい・・・?この暑いのに・・・と思ったらあの人が頼んだぜんざいは冷たいぜんざいが出てきて・・・。素朴でおいしい・・・。

ご飯よりもお菓子とかばっかり食べていたような・・・。
  

Posted by まえこ at 00:26Comments(0)失恋の話

2006年10月25日

別れ

初めから分かっていた・・・と思うんです。
あの人も私も・・・別れることになるってことは・・・。
一緒になるためにはお互いに無理をしなければならないってことも・・・。
無理をして一緒になっても、ずっとその無理を続けることが難しいってことも・・・。
でも、そんな理性を飛ばしてしまうほど私はあの人の支えに甘えてしまってました。

あの人の周囲で変化が起こりました。
トートーメの継承者として・・・本当に実際に長男としての役目をお父さんの代わりにすることが
多くなってきていました。いつも忙しくその役目をこなしていたあの人との連絡が段々少なくなって
きていたのです。
無理だ・・・と感じていたのに、私がそれを認めたくなくて・・・。

連絡が取れにくくなってきたあの人・・・。何かあっていると思いました。
それで会いに行ったのです。
会いに行って・・・やってきたあの人は少し疲れてるようでした。

話を聞いて・・・あの人は沖縄の女性と結婚を前提にお付き合いを始めている・・・。
嘘か本当か分かりませんが・・・あの人はそう私に言いました。
私が頑張っても、あの人の妻、あの家の長男の嫁・・・として苦労するのは目に見えてる。と・・・。
あの人のお母さんは他界していて、教えてくれる人は周りの親戚・・・。
多分手伝ったり助けてくれると思うけど・・・。
もし、貴女だったら出来なかったこと手伝ってもらわないと無理だという事が積み重なれば、
いつか辛くなってくる。

この先、貴女と一緒になっても辛い思いしかさせられないと思うし、ずっと伴侶が泣くのを見て生活する自信はない・・・。そうあの人は言いました。
沖縄の女性でなければ、自分の伴侶という役目は務まらない。
好きだとかそういうものだけで生活はできない。と・・・。
  

Posted by まえこ at 01:23Comments(0)失恋の話

2006年10月25日

考え方

あの人が教えてくれたことの1つに考え方があります。
私はひとつの事に一方向しか考えられない傾向があるので・・・。
それが原因でよく人と衝突するわけですが・・・今でも・・・。
(そういう意味では学習できていないか・・・)

あの人と付き合っていたときに台風が襲来して熊本は大きな被害を受けました。
当時損保会社に勤めていた私は台風災害の事故処理で連日遅くまで残業してました。
中々軌道に乗らなかった台風災害の処理も2ヵ月ぐらいすると忙しいながらも何とか処理も回るようになってきたように感じました。
でも、私はお局社員だったので、とにかく頑張らなきゃ!と思っていたので・・・がむしゃらでしたが・・・。

ある日、電話であの人と話をしていて、私が元気が無いのを気にしたあの人が心配して『大丈夫か?』と聞いてきました。
実はその日、あまりの忙しさに眩暈がしていて、夕方から食べたものを吐いてしまって・・・。
精神的にも参っていたのです。

『吐くまで仕事する奴がいるか!』と怒られて・・・。
あの人は『沖縄に来て欲しいから・・・』などと冗談混じりに『休んじゃえ。』と言いました。
今の職場ではとてもじゃないけど、休むことは無理・・・と答えた私でしたが・・・。

『もう、2ヶ月近くも皆同じ状態で遅くまで仕事して、日中もめちゃくちゃ忙しいんでしょ。
そろそろ交替で休まないと、体が参ってしまうよ。
貴女は下の人から休ませよう・・・とか思ってるかもしれないけど、
それは先輩から「みんなで交替で休もう!」と言ってくれない限り、
後輩が休みたい。とは言い出しにくいはず。』と・・・。

職場で休みの話を提案しろと言われて、次の日上司と職場皆と話をしてみました。
皆で交替で1日ずつ休みを取ろう・・・という話になりまして・・・。
後輩から、『先輩から言い出してくれてよかった・・・このままだと辛いな。と思ってましたから・・・。』と言われて、みんな休みたいな。と思いつつこの忙しく大変な状況で言っていいのか・・・と迷っていたことが分かりました。

休みを取って沖縄に行った時にあの人は『沖縄に来て欲しかったから・・・』などと言ってましたが、
それでも、あの人から提案することを言われなかったら、多分私はそのままがんばり続けていたかもしれません。
後輩の立場に立ったら・・・というのを考えてみなさい。と教えてくれたのです。
  
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Posted by まえこ at 00:23Comments(0)失恋の話

2006年10月24日

あの人を通じてみた沖縄

私が初めて沖縄を知ったのはあの人を通じてです。

あの人は具志川の人でしたから、大抵中部を回ってました。
具志川にある米軍基地の前にタコス屋さんがあり、食事をしながら基地を指して・・・
うちの墓はあの基地の中にある・・・とあの人は言いました。
昔、あの人のお母さんも基地で働いていたことも・・・。
基地があることでいろんな公害もあること、でも、その基地があることで経済的に家族が助かっていたこと。
基地の矛盾というか・・・そんな話をしてくれたのですが、それでも、だからと言ってあなたが何かを考えるとか、そのことを知ろうとする必要はない。とちょっと突き放したこともありました。
それでも、時々、ここでは弾薬庫があって爆発したんだとか・・・そんな話もしてました。

あの人は、一度故郷を離れて東京で働いていたことがあります。
東京で苦労したという話も聞きました。
面と向かって、『沖縄の人間は日本人じゃない。』と言われたこともあると・・・。
それでも、同じ職場に良い先輩がいて、いろんな事を教えてくれた。と話してくれました。

お姉さんの嫁ぎ先が闘牛をやっていて、牛を運ぶトラックを運転する話とか・・・。
具志川には民謡酒場があって、そこにはプロ顔負けの近所のおばぁが歌いに来るとか・・・。
は?歌いに来る?と尋ねた私に『そう、一般ぴーぷるが歌いに来るわけ。』と教えてくれました。
エイサーは地域の青年団がお盆に踊るものだとか、彼自身は高校卒業後に地元を離れてしまったので踊ったことが無い。とか・・・。
お盆の行事は『ウンケー』『ナカヌヒ』『ウークイ』と言って、いつに何をやる、かにをやる・・・と色々教えてくれたのです。(もう覚えてないけど・・・泣)
2月頃に『今日はお正月だから忙しい。』と言って、旧正月のお祝いの話をしてくれたりとか・・・。
十六日だとか清明祭だとか・・・聞くもの初めてのものばかりだから・・・。
え~。それなになに?といつも聞いてました。

ただ、あの人はウチナーグチが話せない。と言ってました。
おばぁの話すことは分かるけど、自分は話せない。と・・・。
小さい頃、方言で話すことを禁止されていたわけではないけど・・・?どこかご法度のような感じだったとか・・・?そんなことをあの人は言ってましたが・・・。
だから、あの人が話す言葉って標準語でした。語尾に「さ~」もつかなかったし・・・。
かえって私の熊本弁を「え?何?」と聞き返されてました。

ウチナータイムでもなかったし・・・私を迎えに来る時は遅刻は一度も無かったし・・・。
いつも到着口で待ってくれてましたね。
  

Posted by まえこ at 00:22Comments(0)失恋の話